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梅座さん控室 44

1 :名無しの読者さん:2024/06/07(金) 19:44:16 ID:CEwqHrhD0
板のルール
ここの板の基本ルール(2013年9月改定)
1 本スレでの予想は禁止、雑談は基本避難所で
  →内容が投下内容の本筋に沿わないもの、3行以上の長文等は禁止です
    安価付雑談は全て避難所でお願い致します。
2 補足説明はok
  ・そこから発展した議論と雑談は避難所でやること。
3 誤字、脱字に関する書き込みは推奨
  →訂正元についての安価をつけて下さい
4 自治不要
  →違反者はその都度☆凜(>>1)が対処するから自治レスは禁止

その他、雑談所で自重するように言われたもの
*共産主義、資本主義等の**主義関連、宗教関連
 その他加熱し易い話題は禁止。
 他スレの話題は常識の範囲内で許可。
みんな仲良くの原則に外れそうな話題はやめましょう。

作者さんより 「少しの気遣いでみんなが幸せになれるという事です。」

梅座スレのスール
ここは梅左諸君の為のスレです。
アドバイスも考証も議論もここでは全てが許されます。
唯一のルールとして

・スレの外に持ち出さない

これだけ守ればOK
>>1がアドバイスを参考にすることは無いから諦めてね。

 殴り合いと罵りあいは違うから要注意!

梅座さん控室 43
ttp://hosirin.sakura.ne.jp/test/read.cgi/bbs/1706747933/

6091 :名無しの読者さん:2024/08/25(日) 16:00:03 ID:lwq9vux50
>>6076
征夷大将軍は武家の棟梁だよ。朝廷が認めた武家の一番偉い奴。
だから、日の本で武家を名乗るなら、須らく将軍の家来。
将軍の家来じゃない武家は、まぁ、武家として認めてもらえないだろうから、蝦夷とかかなw
この辺がわかってないから、守護職関連もわかってないんだな思った。

6092 :名無しの読者さん:2024/08/25(日) 16:02:04 ID:BvJKWVMM0
その足利将軍が二回も殺されたり、内ゲバして逃亡してから返り咲いたりして、
将軍の価値が底値だったのが戦国時代末期なわけで

6093 :名無しの読者さん:2024/08/25(日) 16:04:57 ID:evgnxm/q0
大将軍の上の元帥じゃあかんのか?

6094 :名無しの読者さん:2024/08/25(日) 16:15:10 ID:21E0JICF0
多分本来その役職が必要になる対外戦争は貴族か皇族がトップになるんじゃないかな

6095 :名無しの読者さん:2024/08/25(日) 16:16:19 ID:BvJKWVMM0
そもそも日本で元帥って称号使われたのっていつからだ?

6096 :名無しの読者さん:2024/08/25(日) 16:18:01 ID:mDoT8RbO0
明治の東郷さんや乃木さんより前に居たっけ?

6097 :名無しの読者さん:2024/08/25(日) 16:19:31 ID:25/y1J+70
サッルはその辺りを目指してたよね<征夷大将軍ではなく多分元帥
形だけとはいえ近衛だかに養子に入り貴族としての体裁を整えた

6098 :大隅 ★:2024/08/25(日) 16:34:37 ID:osumi
てーか日本で「元帥」の称号が正式に定められたのは1871年(兵部省担当表)。
実際の任官例は1872年の陸軍元帥西郷隆盛が初で「陸軍元帥」という称号ではなく階級としての元帥は唯一。
以降は階級ではなく称号として元帥海軍大将、元帥陸軍大将といった形になる。

6099 :名無しの読者さん:2024/08/25(日) 16:49:46 ID:b71gJZ4J0
「征夷大将軍」のWiki読んでたけど、なかなか面白いな。「近年明らかになった新事実」として、

>頼朝は、この時、「前右府」の号に代わる「大将軍」を望んだが、「征夷大将軍」を直接望んではいなかった。
>それを受けた朝廷で「惣官」「征東大将軍」「征夷大将軍」「上将軍」の4つの候補が提案されて検討された結果、
>坂上田村麻呂の任官した「征夷大将軍」が吉例であるとして、頼朝を「征夷大将軍」に任官することにしたという。
>他の候補は、平宗盛の任官した「惣官」や、義仲の任官した「征東大将軍」[注釈 11]は凶例であり、また「上将軍」も日本では先例がないとして斥けられた。

とあり、征夷大将軍号は単なる消去法の結果だったんじゃないかと。
またこれから奥州藤原氏を討伐するのに「征夷」の名前が良かったのと、鎮守府「将軍」の末裔にマウントを取るにも「大将軍」号は都合が良かったと。

>さらに、寿永以後頼朝の征夷大将軍補任までの間に征夷将軍・征夷大将軍の地位や職権について議論された形跡が、
>京都・鎌倉双方の同時代史料からは確認できず、鎌倉殿の持つ権限は特定の官職によるものではなく、
>寿永二年十月宣旨や文治の勅許等、鎌倉殿が朝廷によって承認されてきた東国支配権や諸国守護権等各種の軍事的・警察的諸権限によるものであり、
>頼朝・頼家・実朝3代の征夷大将軍自体は職掌・実権のない空名の官職補任以上のものではなかったとされる。

と、鎌倉殿の征夷大将軍の名乗りは、実は名前だけの物であり、「征夷大将軍」が武家の棟梁であるという考えは、
鎌倉殿三代が引き継いできた権限が征夷大将軍の名と密接に結びついてから生まれたものだ、という。

してみると、土地に対する権限から切り離された室町将軍が弱体なのも、そりゃ当たり前だよなと。

6100 :名無しの読者さん:2024/08/25(日) 17:05:47 ID:tF1Lb7ZR0
「関白? なんで関白なんぞが天下を差配する!」
「関白殿が天下を取ったからよ、関白秀吉公が!」

6101 :名無しの読者さん:2024/08/25(日) 17:16:48 ID:Iwsizjrv0
秀吉はなー…生まれのせいでどうあがいても将軍職に就けないというのが決まってるから…

6102 :名無しの読者さん:2024/08/25(日) 17:18:50 ID:tF1Lb7ZR0
官位としては最高クラスの関白はいいと言う…

6103 :名無しの読者さん:2024/08/25(日) 17:50:38 ID:BvJKWVMM0
将軍になるより関白になるほうが難しいし、本気で将軍職が欲しいなら、関白の権限使って将軍兼任すれば良いだけなんだよなあ

6104 :名無しの読者さん:2024/08/25(日) 18:27:28 ID:vFwASBEa0
まあ言うて将軍なっても絶対軽んじられるから関白で帝の権威利用した方がまだましよ

6105 :名無しの読者さん:2024/08/25(日) 18:27:32 ID:Yyvxpgsx0
将軍になろうとして義昭の養子にしてくれと頼んで断られて立腹したとか秀吉と仲悪かった印象あるが
実は大の仲良しだった説もあるんだよなあ
元坊主で女性経験のない義昭に女紹介したり下世話な話して笑わせて機嫌取ったり

6106 :名無しの読者さん:2024/08/25(日) 18:30:26 ID:LpdOnyDC0
秀吉が天下人になった時点で義昭がまだ生きている上に未だ将軍職を返上していないから仕方なく関白になったのはとーほくだったっけ

6107 :名無しの読者さん:2024/08/25(日) 18:39:33 ID:ZDHON4Gd0
ある種の制度バグみたいなのじゃないのかなぁとは思う>関白
五摂家の血縁(血縁とは言ってない)でなれる関白と武家の家系が必要な源氏長者や征夷大将軍の違いというか

6108 :名無しの読者さん:2024/08/25(日) 18:50:16 ID:Qwggfuuk0
青王様が義昭公で「もう過ぎた事ですし信長の子なら将軍職譲ってもいいですよ。え、死んだ?」

って秀勝ならって話があったなあ。
もし秀勝が存命で将軍ならその上で大御所として秀吉が政務取ったんだろうけど
問題はその後で秀頼が生まれたらだな。
秀勝自身が将軍で秀吉の権力の源だから秀次みたいに粛正出来ん。
また旧織田家臣は秀頼より秀勝推しになるだろうし
秀吉死後に秀勝と秀頼の対立必至やんけ

6109 :名無しの読者さん:2024/08/25(日) 19:40:44 ID:oZy4/Rs70
ただ、一家で独占となると関白は権威の維持が意外と難しいという欠点はある
藤原氏でさえ、家を五つに分けて関白を空白にしないようにしてる
後、別に文書での規定はないけど、十六歳未満での就任前例が存在しない
秀吉死亡時に秀頼五歳なんで当然関白に就任できなくて、摂関家に
関白を奪い返されてしまった(1601年の事で家康の将軍就任よりも早い)
関白は摂関家にとって上がりの地位だから独占されると困るのよね

この点将軍は便利なんだよ、貴族があまり欲しがる地位でもないし、
幼児でも就任できるから、政権の権威を維持しやすいというメリットがある
秀頼は結局関白になれなかった事実がある以上、これは無視できない

6110 :名無しの読者さん:2024/08/25(日) 19:55:48 ID:Iwsizjrv0
やっぱこうやって考えてくると血縁外交って大事なんだなって感じるわ…

6111 :名無しの読者さん:2024/08/25(日) 20:10:28 ID:YX/ddtQ60
松殿家は摂政関白になってないし
関白より内覧とか藤原長者のが大事な時期もあるし

6112 :名無しの読者さん:2024/08/25(日) 21:02:08 ID:oZy4/Rs70
どのみち秀頼はどれにもなってないし
少なくとも上がりの地位にいたとは言えないと思う

6113 :名無しの読者さん:2024/08/25(日) 21:14:39 ID:JM91xbhh0
秀吉が強引に関白を秀次に継がせて、その次は秀頼にって世襲にしようとした事に、朝廷はバチギレしてたって話もあったんだっけ?
あと勝手に実質的に関白の上の地位になる太閤を作ったのも反感買う一因になってたとか

6114 :名無しの読者さん:2024/08/25(日) 21:16:44 ID:b71gJZ4J0
関白が引退したら太閤になるのは、秀吉以前からだぞ

6115 :名無しの読者さん:2024/08/25(日) 21:21:02 ID:ZqOvgQK90
秀吉のあそこら辺は擁護できんからな。
二転三転し過ぎ。
「殺すしか無い」って言われても、そうしたのは秀吉自身だし。

6116 :名無しの読者さん:2024/08/26(月) 00:49:16 ID:SGbit/SG0
某所のゼロツーが舌なめずりに見えなくてどう見ても
アヒル口してるようにしか観えない。
つか、口から溢れさせて垂れてるなら舌なめずりの方向がおかしいから余計におかしく見える

6117 :名無しの読者さん:2024/08/26(月) 06:38:01 ID:fOEapZwp0
秀吉に女の子がいて秀勝と結婚させるのが一番丸く収まった。
男女逆でそれやってるのが胃薬さんのだけどそうなるとやっぱ本能寺…

6118 :名無しの読者さん:2024/08/26(月) 09:06:09 ID:OSmnf0z50
征夷大将軍は律令に無いんだっけ?
頼朝にとっては右近衛大将の方が



「佐久間殿より年上はきついっす」弥る夫さんはじいさんばあさん若返るや
SANDAは楽しめない嗜好か

6119 :名無しの読者さん:2024/08/26(月) 09:11:47 ID:2S0+beyj0
>>6118
ちなみに関白も内大臣も中納言も参議も検非違使も令外官よ。
既存の律令だと時代に合わないため、割と頻繁に令外官が活用されてるそうな。

右近衛大将は在京の必要があるので、東国の武家の統率をする頼朝には向いてない

6120 :名無しの読者さん:2024/08/26(月) 09:24:59 ID:12qUud5x0
義満「もうまんどくさい。せやワイ自身が明国に日本国王やって認めさせれば」

6121 :名無しの読者さん:2024/08/26(月) 09:49:41 ID:NdCim4Vs0
朝廷の権威付けとしてなのか武門出身者は征夷大将軍の任官の前後に
朝廷の令外官ではない武門である近衛府、衛門府、兵衛府の役職にも任官されることが多い
源頼家は近衛府の役職を、実朝は衛門府の、足利尊氏は兵衛府、義詮は近衛府の役職を

6122 :名無しの読者さん:2024/08/26(月) 11:06:21 ID:exjtWQag0
朝廷「手下がよその部下も兼任してるな、まぁ割とよくあるし副業みたいなもんだしいいか。」

6123 :名無しの読者さん:2024/08/26(月) 11:14:23 ID:r51sti/f0
そもそも頼朝の家を指して右大将家って言ってるから
右近衛大将が将軍としての官位、それに付随する形で征夷大将軍
室町幕府も徳川幕府も政権が安定していて幼少で夭折でもしてない限り
基本的に右近衛大将に就任してる

6124 :名無しの読者さん:2024/08/26(月) 11:20:40 ID:2S0+beyj0
建久元年(1190年)10月9日に権大納言・右近衛大将に任じられたが、12月3日に両官を辞した。

とWikiにあるので、付随はしてないのでは

6125 :名無しの読者さん:2024/08/26(月) 11:23:43 ID:2S0+beyj0
>11月9日の夜、頼朝は九条兼実と面会して政治的提携を確認した。頼朝の在京はおよそ40日間だったが後白河院との対面は8回を数え、朝幕関係に新たな局面を切り開いた。
>義経と行家の捜索・逮捕の目的で保持していた日本国総追補使・総地頭の地位は、より一般的な治安警察権を行使する恒久的なものに切り替わり、
>翌年3月22日の建久新制で頼朝の諸国守護権が公式に認められた。

と続けてあるので、あくまで畿内(というか洛中)のみの近衛大将は関係ないかなと

6126 :名無しの読者さん:2024/08/26(月) 11:39:41 ID:I+HOew+S0
信長が最終的にどう言う役職に就いたんかねえ
平氏なんだから自分は太政大臣
息子の信忠に征夷大将軍なんかなあ
この説の元ネタがあるんだろうか
コレをやったのが淡海だとか

6127 :名無しの読者さん:2024/08/26(月) 11:41:21 ID:NdCim4Vs0
征夷大将軍って公家が自分から失った武力を外注に出す武士を纏めた幕府っていう
関係子会社の社長みたいな感じよね、朝廷(本社)では○○部門最高責任取締役も兼務の

なんかの公家の研究で読んだので面白かったのが
公家が武力を行使しないで外注に出すようになった背景の一つに血(殺人)の穢れを嫌ったからだって説
そんな血筋の人間から生まれた娘は帝の血筋に入れてはならないって

6128 :名無しの読者さん:2024/08/26(月) 12:09:34 ID:65aN1Nom0
神武天皇も自ら戦って長髄彦を倒して大和の地に王朝作ったし
ヤマトタケルも九州に関東にと遠征と戦いの生涯だった
天智天武の兄弟も自ら先頭に立って戦ってるし
奈良から平安の間に何があったんかな
仏教やろ言うても他の仏教国で王族は一切戦わんなんて風習の国見ないしなあ

6129 :名無しの読者さん:2024/08/26(月) 12:13:57 ID:2S0+beyj0
一方で、平安貴族は結構気が荒く、カチコミなんかも行っていた……なんて話があり
平安期も長いので、前半と後半でがらっと変わったりしてんのかな

6130 :名無しの読者さん:2024/08/26(月) 12:28:19 ID:0K09OrND0
征夷大将軍はその名目で幕府を開くという目的もあるのよね(一応他の名目でも開ける)
武家の棟梁としては征夷大将軍にセットで与えられる肩書も重要で「源氏の長者」であるということは押さえておく必要がある
家康と秀忠への将軍代替わりでは家康が引き続き源氏の長者であり続けた

6131 :名無しの読者さん:2024/08/26(月) 14:03:22 ID:DPDhgt9R0
京の手前に関所が乱立して物流がやべえことになってたんだっけか

6132 :名無しの読者さん:2024/08/26(月) 14:56:35 ID:8/mny9uf0
そもそも信長からすれば守護代なんてハズレも良いところなのである。
なら堺欲しいってなるわ。

6133 :名無しの読者さん:2024/08/26(月) 15:02:53 ID:TbHvVKhS0
しかし戦の描写もなく六角と浅井は退場かあ…

6134 :名無しの読者さん:2024/08/26(月) 15:09:51 ID:URyYL2Rl0
信秀は正式に三河守を任官してるんでその後継ぎのノッブが実質三ヶ国持ちで将軍を担いで上洛して守護代とか
格的においおいって話だよなぁ
将軍の任命する守護代はそんなに重いんか?ってなる

6135 :名無しの読者さん:2024/08/26(月) 15:19:23 ID:DPDhgt9R0
六角も三好も大内も幕府を支えた忠義の家なのに

6136 :名無しの読者さん:2024/08/26(月) 15:40:39 ID:I+HOew+S0
うーん弟さん(毛利秀頼)は信長の赤母衣衆として桶狭間にも参加してる
この世界だと妹かもだが
代わりにそっち差し出すとか?

6137 :名無しの読者さん:2024/08/26(月) 16:08:55 ID:UpLJv96n0
まさか「じゃあ越前を返すように命令してくださいよー」とかゴネるんじゃねぇよな?>義銀サン
元々越前は斯波のモンだし。

6138 :名無しの読者さん:2024/08/26(月) 16:34:03 ID:+yxIeAPV0
義銀「これくらい将軍なら朝飯前っすよねぇ〜。」

6139 :名無しの読者さん:2024/08/26(月) 17:06:51 ID:4bg3S6ci0
「そこまで言うなら“斯波の看板”上洛させたるよ」だから、順当にいけばのぶりんに義銀Pの子を娶わせて云々なんだが
義銀P、やる夫がお気に入りっぽいし……婿に取って斯波やる夫ルートの可能性?

6140 :名無しの読者さん:2024/08/26(月) 17:20:58 ID:+EDz7s8u0
義銀×やる夫か…

6141 :名無しの読者さん:2024/08/26(月) 17:40:40 ID:Tj2eJ6fv0
後は、公平に裁判をして判決出したろやんけって義昭が鼻息荒くしても、
片や守護、片や守護代では道義上は守護を支持しないといけない。
つまり、朝倉にケンカを売る事態なんだよね。
じゃあ斯波に泣いてくれってなるんなら、上洛すらしないし、しても即帰る。
つまり足利のメンツが丸潰れになるんだが。
それでも良いの?

双方の顔を立てる、が事実上無理なんだよ。

6142 :雷鳥 ★:2024/08/26(月) 17:43:15 ID:thunder_bird
やる夫をみお吉に奪われた悔しみ、やる夫を義銀に寝取られた悔しみ
こ、この信長の悔しみを、誰がわかってくれるか……!!

6143 :名無しの読者さん:2024/08/26(月) 17:51:22 ID:U5qcIPUD0
のぶりん「サムライなら潔く(私と一緒に)死んでやる夫!」

6144 :名無しの読者さん:2024/08/26(月) 17:59:07 ID:4bg3S6ci0
なんか義銀Pがウホッな文脈になっとるw
義銀Pの娘婿にやる夫貰うって意味なw

6145 :名無しの読者さん:2024/08/26(月) 18:06:19 ID:SZSuQDbe0
信長の死後遺贈ともかく
生前は右大臣でラスト?

6146 :名無しの読者さん:2024/08/26(月) 18:13:34 ID:7+5AIGaU0
毛利秀頼さん名門斯波の子とは思えん猛将だったらしいし。本来なら家臣筋の信長や秀吉にも忠実に仕えてる。
せっかく取った大将首を同僚と譲り合い結局打捨てにしたとか出世欲はあんま無かったらしい。
信長にも秀吉にも愛されて、秀吉からなんと豊臣姓と羽柴の名乗りを下賜されている。
つまり彼は「豊臣秀頼」でもあったんだよ!

婿と言うよりみお吉とやる夫の養子に入るとか?

6147 :名無しの読者さん:2024/08/26(月) 18:28:57 ID:SZSuQDbe0
やる夫を斯波の養子にする
じゃだめ?

6148 :名無しの読者さん:2024/08/26(月) 18:34:12 ID:nm97ZZSX0
やる夫を義統が農娘に産ませた庶子に経歴ロンダリングとかからすればなんとか

6149 :名無しの読者さん:2024/08/26(月) 18:35:07 ID:SZSuQDbe0
>>6129
平安貴族は殴り合い呪いはしても斬った張った殺したは別だって聞いた
(平忠盛の逸話

一応古代ヤマトでも
王が死んだら大いなる穢れが出るから
弔った土地から離れる
はあったらしい

6150 :名無しの読者さん:2024/08/26(月) 18:52:08 ID:uUTGevXa0
看板って事はよく見るロンダリングするのかな?

6151 :名無しの読者さん:2024/08/26(月) 18:52:15 ID:NdCim4Vs0
>>6147
史実的には斯波には跡継ぎになる津川さんとか、毛利さんがいるから総領権的に難しい
取れる手段としては義銀さんに娘がいたらそれをやる夫に嫁がせてそこから生まれる子供を次の斯波の総領にするとして
それまでやる夫はその生まれて来るであろう子の代理人、生まれてしばらくは後見人に指名して疑似的な総領にすると
斯波家の名跡自体はやる夫は継げないが代理として全権が振るえるし主張できる

まぁこの手段を取ろうとしてお家騒動になった例は幾らでもあるんだけどね

6152 :名無しの読者さん:2024/08/26(月) 19:08:58 ID:6T+9mlMJ0
やる夫を養子にするか、経歴詐称()させてロンダリングして斯波やる夫爆誕!かなー?
でもそれやると立場的にのぶりんよりやる夫が上に立つ事になるか

6153 :名無しの読者さん:2024/08/26(月) 19:21:26 ID:LieTsAO00
のぶりん「主客逆転!そう言うのもあるのか!」

6154 :名無しの読者さん:2024/08/26(月) 20:36:57 ID:SZSuQDbe0
弥る夫って信長を大恩ある主君とは見てるだろうけど

惚れた女の子孕ませたい雌と認識してるのかな

6155 :名無しの読者さん:2024/08/26(月) 21:05:05 ID:6T+9mlMJ0
既に少なくとも一人は孕ませてるからなぁ

6156 :名無しの読者さん:2024/08/26(月) 21:08:38 ID:Za9UVOFL0
征夷大将軍が、事実上の軍事政権の長の称号になったのは将軍職って仕組み上ある程度の独断専行が出来るんよ
自分で私的に「朝廷の組織とは別に」幕僚を任命して好き勝手やっても許されるという建前
銀英伝だと元帥は元帥府開いて幕僚任命する権利有るでしょ、あれと同じ

建前上は非常事態なので、一時的に将軍が幕府開いて日本中を支配してるって建前

6157 :名無しの読者さん:2024/08/26(月) 21:13:22 ID:JUZ+RHKD0
やる夫を養子にしてシヴァ・やる夫するって?

6158 :名無しの読者さん:2024/08/26(月) 21:31:02 ID:I/Zj1DUr0
やる夫が名目上は織田の上に立っても…あんま文句来ないか
織田の幹部クラスがみんなやる夫の愛人みたいなもんだしなあ
問題は斯波夫人となるみお吉がのぶりんより上位に来ちゃうことかなあ

6159 :名無しの読者さん:2024/08/26(月) 21:36:07 ID:XZmVHzVz0
>>6156
違うぞ
三位以上になると幕府が開けるようになって、その長が将軍ってだけ
摂関家以下、三位まで上がる家には個々の幕府がある

6160 :名無しの読者さん:2024/08/26(月) 22:12:28 ID:YlJ84aj70
その説に従うと、守護・地頭の設置で足利幕府とか言い出している歴史学者が馬鹿みたいじゃないですか

6161 :名無しの読者さん:2024/08/26(月) 22:15:46 ID:ldAzYg040
三位以上になると開けるのは政所では?

6162 :名無しの読者さん:2024/08/27(火) 00:11:00 ID:VNvAnNch0
幕府じゃないが平氏の中に日記の家と言われる一族がいて
平安時代には官職と同時に代々藤原家の総領の家宰を務めていて日記(というか業務日報)をつけていて
様々な業務の手順、入内の際の準備物、熊野詣のルートといったものを記録していて
一部が御堂関白日記に引用されているそうな

6163 :名無しの読者さん:2024/08/27(火) 04:42:04 ID:nvH7bVld0
そーいや時報的には本圀寺の変だったな
意図的に見逃すと言う手も

6164 :名無しの読者さん:2024/08/27(火) 12:14:21 ID:n7G1EY900
仮にやる夫が斯波武衛家継いでものぶりん存命中なら上手くやる。
だろうが次世代がね
信忠が織田
石松丸が斯波を継いだ場合。どっちが天下の主なのか、と。

6165 :名無しの読者さん:2024/08/27(火) 13:28:43 ID:C37Ef8t00
次代になるころにはノブ凛は天下統一して織田の官位は斯波の官位を超越してるよ

6166 :名無しの読者さん:2024/08/27(火) 13:49:31 ID:Bu4mdA2i0
なんで常昭は斯波と朝倉を並べて上洛させようとしたんだろか斯波と並べるなら畠山や山名や一色や京極や赤松なのに
三管領四職を理解してないのかな

6167 :名無しの読者さん:2024/08/27(火) 13:59:38 ID:gWEKH1qS0
斯波の家臣である織田が実務して将軍にした、なら斯波が勲一等ってなるのにその斯波ですら尾張守護
じゃあ斯波の働きじゃなくて織田の働きと評価するのかと思えば織田には守護代
そして何故か斯波とその家臣筋でしかない朝倉の上洛に拘る

徹底的に織田を軽んじるための行動だと思われる
上洛するのに使った織田が邪魔になったら斯波+朝倉に命じて織田討伐でもさせるつもりなんでは、そのための縁繋ぎ

6168 :名無しの読者さん:2024/08/27(火) 14:13:53 ID:Ql0wuyKa0
斯波「俺、HOSへの書き換えやってないよ」

6169 :名無しの読者さん:2024/08/27(火) 16:54:34 ID:PvlLnkuy0
>>6167
何も考えてない説もあるけど、私は『保険』だと思ってる
織田の力で上洛したのは確かだけど、だからといって織田一辺倒になると
織田が万が一倒れた時に、自分も共倒れになってしまう
三好や義栄がまだ健在な以上、自分が将軍として在京し続ける為には
織田以外に自分を担ぐ担ぎ手が必要であるという認識があるんじゃないか
だから信長にも『守護代』という高い地位を与える事で誠意を見せてる、
多分義昭視点では悪気はない(信長がその行動を喜ぶとは言っていない)

6170 :名無しの読者さん:2024/08/27(火) 17:05:07 ID:y2WKLJDS0
今回の織田は資金も戦力も余裕あるんだから京都ガラ空きにはしてんのでは?
だから本圀寺起こるかどうか

6171 :名無しの読者さん:2024/08/27(火) 17:12:32 ID:wRVXAsTY0
「新九郎、奔る!」でも室町公方も堀越公方もすっかり公家みたいな、「俺の言うことみんなが聞くのは当たり前やろ」みたいな態度取ってたんで、素でもあんまり驚かないなあ

6172 :名無しの読者さん:2024/08/27(火) 17:15:34 ID:wRVXAsTY0
こう、「神輿放り出されないよう下に気を使ってアメをあげるという発想がない」みたいな感じ

6173 :名無しの読者さん:2024/08/27(火) 17:16:53 ID:KpO4D+oM0
毛利秀頼さんは割と脳筋な現場の人な感じ
やっぱ幼少期から親から離れて成長したせい?

6174 :名無しの読者さん:2024/08/27(火) 17:32:18 ID:PvlLnkuy0
飴と言われても、義昭には地盤も鞄もないから、看板、
つまり肩書しか渡せるものがないよ
それに信長、織田家の元々の地位を考えたら守護代辺りしか渡せんだろう
あんま高い地位やると、もともとその地位にいた連中が
「あんなぽっと出にこの地位をやるのかよ!?」ってなって
そっぽ向かれちゃって義昭が執政する際にいらん反発が起きるし
確か同志のフレーゲルでもそんな感じの話があったろ、
普通なら他の貴族とのバランスを考えて陞爵を熟慮するけど、
響はれっきとした皇帝の娘だから大公でも別にいいよみたいな話

6175 :名無しの読者さん:2024/08/27(火) 18:17:10 ID:XA4SiP6J0
尼子に対して西国8カ国守護渡してるんだよなあ
山名や赤松が守護なのに

守護代は守護の代理なんだから守護に任命権がある

6176 :名無しの読者さん:2024/08/27(火) 19:10:41 ID:roBY6oaW0
なんか予想とかこうなるんのかなが本スレ多くて怖いなぁ・・・

6177 :大隅 ★:2024/08/27(火) 19:14:47 ID:osumi
……なんというか、どういう転落人生を見せてくれるのかが愉しみではあるw

6178 :名無しの読者さん:2024/08/27(火) 19:28:12 ID:rPUEoIZA0
武衛も頼朝の名乗りでもあったし兵衛府長官でもあるし将軍に代わる地位でもある。
義昭追放後はやる夫をトップに据えたっていいんだよな。

6179 :名無しの読者さん:2024/08/27(火) 19:38:23 ID:gWEKH1qS0
割りと斯波家の生き残りって観点でも正解だから困るw
とりあえず今代は織田家と斯波が揉める事はない

6180 :名無しの読者さん:2024/08/27(火) 19:42:20 ID:LmTw0TyX0
てことはのぶーりんは主君やる夫に遠慮なく嫁入り、仕えることが出来るんだな

6181 :名無しの読者さん:2024/08/27(火) 19:42:48 ID:Bu4mdA2i0
闕字(けつじ)とは、文書中に天子や貴人に関する語が現れたときに、これに敬意を表すために、該当する用語の前に1字または2字分の空白を設けることである。
つまり手紙の中に敬意を表す人物がいないってことかwww

6182 :雷鳥 ★:2024/08/27(火) 19:48:08 ID:thunder_bird
やる夫をみお吉に奪われた悔しみ、やる夫を義銀に寝取られた悔しみ
やる夫を斯波家に養子入れさせて私のもとに嫁入りさせる喜び
こ、この信長の気持ちを、誰がわかってくれるか……!!(絶頂

6183 :名無しの読者さん:2024/08/27(火) 19:49:27 ID:6KCfP4C90
上様

一応名目上は、やる夫の丸太がそれらの名家のドタマに凸されても
名家同士の諍いの内に収まるってことを理解していないんかな?

6184 :名無しの読者さん:2024/08/27(火) 19:49:44 ID:tjFy5wju0
戦国宇宙要塞読んでて斯波武衛の畿内に対する恨みつらみのヤバさを知れたいい思い出…

6185 :名無しの読者さん:2024/08/27(火) 19:50:28 ID:hgaCGuvp0
ノブ凛はまあいいけど、身分的に面倒になるのって実は秀吉では?
旦那がいきなり身分的には主君より上にきた

6186 :名無しの読者さん:2024/08/27(火) 19:54:14 ID:6KCfP4C90
もともとベッドの上で下剋上しまくってんだから当人ら的には誤差では?

6187 :名無しの読者さん:2024/08/27(火) 19:56:55 ID:T9EcRo/t0
形式的にやる夫が無条件従属してノブ凛家臣になりましたって形になればイイんじゃない?
通常は絶対ありえないけどこの話でのやる夫とノブ凛だったら問題なくできるでしょ


6188 :名無しの読者さん:2024/08/27(火) 19:57:46 ID:JNLbDTuv0
>>6181
義銀Pのアオリ・ジツは濃尾にて最強……

6189 :名無しの読者さん:2024/08/27(火) 20:00:14 ID:VNvAnNch0
これ知れ渡ったら、足利さんに斯波がお前に権威なんて無いって中指立てたことになるよね
なお、斯波氏は鎌倉時代に足利の当代が泣く泣く嫡子から庶子に落とした子が初代の為
別名足利尾張家という足利の身内も身内

6190 :名無しの読者さん:2024/08/27(火) 20:00:34 ID:LmTw0TyX0
ようやくやる夫とのぶ凛の子供を認知できるんやね

6191 :名無しの読者さん:2024/08/27(火) 20:02:50 ID:SRa72a+s0
なんか無印無能ヒルダさんと同じ臭いがするなあ>義昭

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